ねりあめのブログ

ねりあめがアイマスに関することや、その他色々なことを考えるだけのブログです。SSも書くかもわかりません。

イリュージョニスタ!は如何して素晴らしいのか

みなさんこんばんは。 今日はイリュージョニスタ!について語っていきたいと思います。

みなさんはイリュージョニスタ!を知っている、覚えているでしょうか?イリュージョニスタ!とは、アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージの2周年を寿ぐイベントに際して作られた楽曲、所謂周年曲です。
イリュージョニスタ!には、2周年という節目を迎えるにあたって、アイドルマスターシンデレラガールズがどのようにこれからを創っていくか、ある種未来への果し状のような役目をがあるのです。
この前提を軸に論じていきましょう。


―何故イリュージョンはワンナイトでなければならないのか―

「ワンナイトイリュージョン ようこそ新世界」
という歌詞に代表されるように、イリュージョニスタ達は一夜限りの幻想にこだわりを見せます。
では何故、"一夜限り"でなくてはならないのか?
それは、娯楽はなま物である、という考えに拠るものと考えられます。
どんな面白いコンテンツも、そこに立ち止まりただ賞味期限を浪費するだけという訳には行きません。
これは、アイドルマスターのアイドルの視点からも、延いてはソーシャルゲームという視点からも考慮されるべき思想であるわけです。
これはアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージの2周年を寿ぐ曲でありながら、その枠に留まらず、アイドルマスター、そして夜に出回る全ての娯楽への挑戦状であるのです。


―忘れ去られたメリーゴーランド―

曲中最大のパンチラインとも言える、この歌詞
エモいという一言で済ませるには実に惜しい深さがあるのです。
メリーゴーランドは娯楽の一種で、誰かを楽しませることが出来ます。乗る人、それを撮る人、煌めきを眺める人。多くの人の心を確かに揺さぶるのです。
しかし、メリーゴーランドはその性質上同じところを何周も回ることしかできません。
揺さぶられた心は1度きりで、同じところを巡るメリーゴーランドに2度と心を動かされることは無いのです。
このことを「泡沫の煌めき」と見事に形容していることの素晴らしはは筆舌に尽くし難いものがあります。
だからこそ、手を替え品を替え、誰しもが忘れられないようなメリーゴーランドを作りあげるのだ、という意思が歌詞に内在するのです。
メリーゴーランドの馬を龍に変えてみるかもしれない、メリーゴーランドの位置を変えて景色を変えてみるかもしれない、或いはメリーゴーランドをやめてコーヒーカップを置くかもしれない。
この様子は、アイドル達が試行錯誤する他、運営がスターライトステージを如何にして面白くしようかと試行錯誤する姿、あらゆるコンテンツに於いてそのイニシアチブを握る者がコンテンツを面白くしようと試行錯誤する姿にもピッタリと当てはまるのです。


―納得の@、明日のSUPER ST@R―

少しでもアイドルマスターをかじっている方ならわかると思いますが、アイマスの上では@はひじょーーーーに重要な意味を持ちます。曲名に使われてる例では、M@GIC(デレマスアニメ2期最終回挿入歌)や、自分REST@RT(アイマスアニメ1期最終回挿入歌)、M@STERPIECE(劇場版挿入歌)などがあります。どれも作中の要となる重大な曲です。
その@をこの曲の歌詞中に忍ばせているというのは、アイドルマスターにとっても、この曲が非常に重要な意味を持つということと捉えるべきでしょう。


―ある意味怖いジェットコースター―

この曲の凄いところは、これだけの雄弁を有しておきながら、冷静さを一切欠かないところであるといえましょう。
「見切り発車じゃ誰もノれない ある意味怖いジェットコースターね」
ジェットコースターを発射するにも、まず乗客を席に乗せてベルトをつけさせてそれを確認してまたそれ以前に入念な点検があってと、見切り発車で飛ばせるものではないのです。
闇雲に変革を目指し、手を替え品を替えているだけでは、誰もついてくることは出来ないという自覚があるのです。変革と安定、このふたつは常に背反し、混ざることはないでしょう。
だけれども誰も置いていくことなく、進化を共に遂げていくという無理難題もこなしてやろうという強い意志が感じられると思います。繰り返しになりますが、それはデレステのみならず、あらゆるコンテンツにおいても同様なのです。


イリュージョニスタ!が未来のアイドルマスター延いては全ての娯楽への果し状であるというのはわかって頂けたかなと思います。
その姿勢こそが、イリュージョニスタ!の真髄であり、イリュージョニスタが素晴らしい所以でもあるのです。

ご静聴ありがとうございました。